手放しつづける。



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Author:シロワンコ
いろんなものを必死で身につけてきた。
でもそれは、本当に必要だったのか…?
今度はそれらを手放し続ける旅に挑戦。
どこまで手放し続けたら、本当の自分に
会えるんだろう…。



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2011.01.01  わたしが自分自身から解放されますように。 <<14:54


主よ、わたしは信じきっていました
わたしの心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて
本音に気づかされました。
わたしが愛していたのは他人ではなく
他人の中の自分であった事実に。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。

主よ、わたしは思いこんでいました。
わたしは与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて
真実がわかったのです。
わたしのほうこそ与えられていたのだと。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。


      ……………マザー・テレサ





聖女マザー・テレサですらかくありなん。
いわんや俗人シロワンコをや。

正しい道を歩くまい。
正しくない道も歩くまい。
この足の下の地面をただ歩いていこうと思う元旦です。

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2010.05.25  朝に弱いのだ、を手放す。 <<21:24


テイクオフコースは乱暴に言えば、バーチャル禅寺みたいなもんだ。
自我と離れるために、浄化ワークと坐禅を両輪とする。
強制ではないが、ガイドは強力に坐禅を薦める。


瞑想とか坐禅とか、いかにも「内面を見つめる人」っぽくて
そんないかにもなこと、こっぱずかしいぞ~と、長年避けてきた。

が。
自分をリセットするためにこの旅に参加したんだろ?って自分を説き伏せ、
しゃーないなぁ…って、なけなしの素直さをかき集め、坐禅を始めたのだった。そしたら。


ハマってしまいました!



やっと2ヶ月くらいだが
なんでもかったるくなったりイチャモンつけたりの私が、毎日黙々と座っている。
悟りたいだの見極めたいだの超越体験がしたいだの
そんな欲や期待、目的があったらきっと続かなかっただろう。
試しに座ってみっか、ってノリで始めたから、何も考えてないのだ。

座る経験がただ、楽しくて座っている。
自我と距離ができたトカ、頭の中の会話を離れて意識できるようになったトカ。
そんなことはない。と思う。
自分の中がしーんとした感じがエクスタシーで、それを味わうのが楽しいだけ。
そりでいいんか?と思わないでもないけど、楽しいからいいやい。



そして現実的なご利益もいくつか。

1)睡眠時間が少なくても、疲れにくい
2)朝、すっきりと起きられる
3)ベスト体重より3kg落ちても倒れない
4)体が柔軟になった
5)重心が定まって、動揺に強くなった


特に2は、私の人生中で大革命だ。
浄化リストを作ってもダメだった(笑)、数十年来の念願の早起き。
超夜型で低血圧で貧血の私が、朝だというのにご機嫌ちゃんだ!

3に関しては、坐禅と浄化ワークで(丹田呼吸のせいと思われる)あっという間に痩せた。
肉体労働なので、しんどくても倒れない体重がベスト体重なのだが、
ハードワークの時も息切れしない。
もともとうまそうな体つきなわけではないが、
それでも落ちたのは、主に腹と太腿のようで、女子的に嬉しいなり。



たとえ浄化が挫折しても、坐禅はやめんぞと誓う私でした(笑)。



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2010.05.13  ひとのために…を手放す。 <<23:45


残念ながら、
ひとのためにする行動というのは100%ない、のだ。

誰かに何かしてあげたいのも、喜ばれると自分が嬉しいから。
困ってる人を見て放っとけないのも、役にたつと自分が満足するから。
ひとを心配するのも、自分の心が痛むのが嫌だから。

すべては自分のためか?!
そう。
自分のためにするのが悪いとかいいとか、それは勝手な判断なだけ。

てことは。
ひとが私のためにこんなに…!! なんてことも同様にないわけか。
その人がしたくてしてるだけだな。

自分の行動にもひとの行動にも、勝手な意味づけは要らない。

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2010.04.11  ご褒美を手放す。 <<20:59


そういうことだったのか!

と、気づくとき。
煮詰まったり絡まったりした挙句のそんな気づきは、ご褒美のようだ。
「問題」が解決しないまでも、視点が変わったことで、すうっと軽くなる。
思わず解決したような、いやもうどうでもいいか、という気分になる。

それはそれでいいんだけど。



浄化ワークを始めてから、程度の差はあれ、気づきはしょっちゅうだ。
だから以前ほど、ご褒美には感じない。
というよりも、気づきは通過点になってしまう。

気づきました。
で、どうする? もちょっとご褒美味わっとく?
…いや、もう気づいたからいいっす、次行きましょ。って感じになってしまう。

次、ってのは気づきを手放すってこと。



もちろんたまには大物が釣れ、

…………あっ!!!!!

ってこともある。
でもそんな時さえ、次のステップが待ってる。
そういうことだったんだね、で、どうする? それも手放す?

残念だけど、気づいたからにはもう手放さざるを得ない。

気づいたことも手放して、
ゼロに戻してからやっと、選択の自由の扉が現れる。

そこには思い込みや執着が剥がれた、まっさらな事象があるだけだ。
きれいになったそれを、また選んでもいいし、選ばなくてもいい。


ご褒美は、純粋な経験に変わっている。


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2010.03.03  「問題探し」を手放す。 <<00:09


浄化ワークをすると、いったん
胸のつかえが取れてすっきりする。

でも長くは続かない。
というか、自分自身がその状態を続けさせない。


「問題」が「解決」したとすっきりするのも束の間、
さっそく次の「問題」を探す癖がついていることに気づく。
心の中のリストに次のことが書かれてないと、落ち着かないのだ。


なんてこった。

「問題」が解決すると困る。
「問題」は解決してはいけない。
「問題」は「問題」のままでなくてはいけない。
「問題」がなくなると不安だ!



…やれやれ。
自分の創造主ぶりに感心する。

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