手放しつづける。



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シロワンコ

Author:シロワンコ
いろんなものを必死で身につけてきた。
でもそれは、本当に必要だったのか…?
今度はそれらを手放し続ける旅に挑戦。
どこまで手放し続けたら、本当の自分に
会えるんだろう…。



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禅マインド ビギナーズ・ビギナーズマインド

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誰がかまうもんか?! ・ラメッシ・バルセカールのユニークな教え・



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2012.02.10  TAKE OFF! <<00:00


手放しつづける。

しあわせとは、何もなくても、あっても安心があること。
と定義してみる旅の始め。
失うものも守るものもなくなった時、わたしはどこに立ち、どんな風景を見ていることやら。

あるがままの五原則
1)比較しない
2)ジャッジしない
3)決めつけない
4)自分を許す
5)すべてを受け入れる

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2012.01.10  コントロールしたい私を手放す。 <<00:06


ものごとはおしなべて単純で、複雑に感じるのはそう感じる私に過ぎない…ということ。

すべては在るべき場所に在る。
私はまだ、自分がそうであってほしい配置を求めている。
動こうとするものを引き止め、なんとかそこにいさせるために説得しようとしている。
「私」がそうであってほしい配置
「私」に都合がよい配置
「私」が思うベストな配置 に過ぎない。

つなぎとめる必要は一切ない。
自由にさせてやってはどうか。
「私」が気に入らないその配置を、どうして変えたがるか。
「私」の気に入る配置を、どうして保持したがるか。
そのままを認めてやってはどうか。

そのままをそのままに見られないから、
「私」の希望とそのままの位置にズレを見るから、複雑に感じるのだ。

そのままはそのままで、ごく単純なものなのに。

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2011.07.17  知識を手放す。 <<23:48


久々の書き込みなのだ。


自分のうちに向き合い続けると、外に語ることが少なくなっていくような気がする。

他の人が、しかももっと才能がある人が、先達が、もう既にいろんなことを語り尽くしているから
何をいまさら私ごときが…という感触も、日に日に増す。

だから本を紹介したいと思う。


禅マインド・ビギナーズマインド




『禅マインド ビギナーズ・マインド』 鈴木俊隆 著

アメリカに禅を浸透させた鈴木師が、アメリカ人に向けて書いた本。原著は英語だ。
私たち現代日本人は、DNAこそジャパニーズだが、
禅だの伝統仏教だのへの知識と理解は、ガイジンとたいして変わりはないだろう。
現に私はこうやって坐禅に取り組むまで、禅とはストイックデザインと精進料理がらみの興味、
アメリカの50年代に始まる放浪するインテリヤクザな詩人たちビートニクへの憧れから
逆輸入の形で『ZEN』に近づいていたに過ぎない。
そして、この『Zen Mind, Beginner's Mind』は、そのビートニクたちのバイブルだったのだ。

アメリカ人向けの禅の言葉は、アメリカ人並に初心者な私の胸にすっと入ってくる。
そのことを何も知らない人に向けて語られる言葉というのは、表現や単語が易しいだけではない。
複雑な肉づけがないからシンプルに本質的なのだ。
とことん削ぎ落とされ洗練された説明が、ずばりストレートに届く。

ああ、初心者でよかった。
初心者としてこの本によって導かれることに、自分の幸運を感じる。

そして鈴木師は説くのだ。
初心者の心(Beginner's Mind)こそ、禅にとって原点なのだと。



No.18 / 書籍 / Comment*0 / TB*0 // PageTop▲

2011.01.01  わたしが自分自身から解放されますように。 <<14:54


主よ、わたしは信じきっていました
わたしの心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて
本音に気づかされました。
わたしが愛していたのは他人ではなく
他人の中の自分であった事実に。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。

主よ、わたしは思いこんでいました。
わたしは与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて
真実がわかったのです。
わたしのほうこそ与えられていたのだと。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。


      ……………マザー・テレサ





聖女マザー・テレサですらかくありなん。
いわんや俗人シロワンコをや。

正しい道を歩くまい。
正しくない道も歩くまい。
この足の下の地面をただ歩いていこうと思う元旦です。

No.17 / / Comment*0 // PageTop▲

2010.06.11  嬉しさを手放す。 <<22:55


観念浄化は嫌なことをなくすワークではない。
嫌なのだろうがお気に入りなのだろうが、そのジャッジする癖を落として
こどものような素直さを取り戻してゆくワークだ。

怒りや悲しみといったマイナスの感情は、わかり易い。
早く手放してラクになりたいから。
でも喜びや楽しさは…?
なるだけ長く味わいたい、握っておきたい。
なのに、シアワセも手放さなきゃいけないわけ?

そうだ。
「理屈」では。

そのシアワセな状態を手放すんじゃなくて、それを握っていたい執着を手放すのだ。

理屈はわかっても、そこが私には整理し切れないところだった。
浄化をルール化してしまい(自我はルールがあると安心するらしい)
「シアワセに執着してはいかん!」も観念化してしまったようで、
嬉しさや楽しさを感じると、意図的にニュートラルなスタンスを探す回路を作りそうだった。

ウレシイ!ってことがあって、
でもその嬉しさも手放さなきゃな~
マイナスの感情だけ始末しようなんて片手落ちだもんな
善悪相対を「平等」に手放すのだ
でも嬉しさを手放す浄化ってどうやったらいいのか~
誰もそれを解説してくれてないな~
………と、思考しているうちに嬉しさは目減りしていく(笑)。

なんだか本末転倒な気配。
密かにこんがらがっていた矢先に、ツアーガイド氏の素敵な言葉を発見。

『感情は、雲のように、感じてやれば すぅと消えていくものです。』


なーんだ。
ただ、感じておけばいいだけだ。
ややこしくしているのも、原理主義的観念だった。

それにしても。
喜怒哀楽 感情をそのままただ純粋に味わうことがすべてだなんて。



なんてエキサイティングなんだ!

No.16 / ゴタク / Comment*0 / TB*0 // PageTop▲

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